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今回は澱の橋を知ってもらいたいと思います。

広瀬川 澱の橋の歴史

広瀬川に初めて澱の橋が架けられたのは、江戸時代の元禄年間(1688年~1704年)とされています。具体的には、元禄7年(1694年)または8年(1695年)頃に、それまでやや下流に架かっていた支倉橋が大水で流失したことを受け、その代替として架けられました。当初は「淀橋」と表記されることもありました。

当時の橋は木造で、藩の記録によれば長さは約95メートル、幅は約6.3メートルとされています。しかし、広瀬川は度々洪水に見舞われる暴れ川であり、澱の橋も例外ではなく、記録に残っているだけでも享保6年(1721年)、元文元年(1736年)、宝暦元年(1751年)など、幾度となく流失と再建を繰り返しました。文化9年(1812年)の大水では完全に落橋しています。

明治時代に入り、仙台の近代化が進む中で、広瀬川に架かる橋の重要性が増しました。そして、明治25年(1892年)10月、澱の橋は鉄橋として生まれ変わります。これは、同じ年に架け替えられた大橋とともに、広瀬川における二大鉄橋と称されました。ベルギーから輸入された錬鉄を用いたトラス橋で、上路式という、通行する人々からは鉄骨構造が見えない形式が採用されました。橋脚は煉瓦造りで、要所が花崗岩で補強され、橋面は木の板でした。当時の橋の長さは約130メートル、幅は約5.5メートルで、建設費用は約8万7900円という巨額の費用が投じられました。

その後、交通量の増加や老朽化に伴い、昭和36年(1961年)11月27日に現在の澱の橋が完成しました。これは、幅12メートル、長さ137メートルの連続桁橋です。

広瀬川 澱の橋の構造

現在の澱の橋は、鋼桁で構成された比較的シンプルな構造の橋です。橋桁が連続しているため、走行時の振動が少なく、スムーズな通行が可能です。幅員も広く確保されており、自動車だけでなく、歩行者や自転車も安全に通行できます。

かつての鉄橋時代の橋台の一部は、現在の橋の北側に残っており、歴史を今に伝える貴重な遺構となっています。煉瓦造りの橋台は、当時の技術やデザインを偲ばせます。

広瀬川 澱の橋の周辺情報

澱の橋は、仙台市青葉区の八幡・角五郎・広瀬町地区と川内地区を結ぶ位置にあります。周辺には、自然や文化に触れることができるスポットが点在しています。

広瀬川: 橋の名前の由来となった広瀬川は、仙台市の中心部を流れる一級河川であり、「名水百選」にも選ばれた清流です。澱の橋の周辺では、川の流れが穏やかで、河川敷は市民の憩いの場となっています。

広瀬川澱緑地: 澱の橋の下流に広がる河川公園です。広々とした空間で、散策や休憩を楽しむことができます。かつて新兵が水泳訓練を行ったという「新兵淵」の碑や、「観音淵」、「松淵」の碑など、広瀬川にまつわる史跡も点在しています。また、ランニングコースも整備されており、市民の健康増進にも貢献しています。

宮城県美術館: 澱の橋からほど近い場所に位置する美術館です。国内外の様々なジャンルの美術作品を鑑賞することができます。美しい庭園も併設されており、四季折々の自然を楽しむことができます。

仙台国際センター: 広瀬川を挟んで対岸に位置するコンベンションセンターです。国内外の会議やイベントが開催され、多くの人々が訪れます。周辺は緑豊かな公園となっており、散策にも適しています。

仙台城跡(青葉城址): 澱の橋からやや距離がありますが、仙台のシンボルである仙台城跡もアクセス圏内です。伊達政宗公が築いた名城の跡地からは、仙台市街を一望できます。

澱の橋周辺は、広瀬川の自然、歴史的な遺構、そして文化施設が調和したエリアと言えるでしょう。橋を渡るだけでなく、周辺を散策することで、仙台の魅力をより深く感じることができます。

このように、広瀬川の澱の橋は、その長い歴史の中で幾度かの架け替えを経て、現在の姿になりました。現在も、交通の要として、そして周辺の景観を彩る存在として、仙台市民に親しまれています。

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